2016
7
Dec

スピリチュアル

現代におけるスピリチュアル

現代に生きる人々の霊性っていうか、人類全体の波動を無理やり高いか低いかで言ってしまうと、低い方だと思います。

21世紀にもなっていまだに戦争や貧困、政治の汚職、病気、自殺などは無くなっていません。

確かに科学技術は発展してきました。

ですが肝心の人類はといえばどうでしょう?人類自体は成長してきたと言えるでしょうか?

人間としてのありかたは100年前に比べて成長したでしょうか?

人類の霊性は成長してきたとは言い難いのが本当のところではないでしょうか。

霊性って言われると何か抵抗があるって言うのなら「心」とかに言い換えてもかまいません。

そんな時代に生まれてきたことに僕自身、嫌気がさしていたし、辟易としていました。

こんな時代に生きて何の意味があるのか。見出せないでいた時期がありました。

ここ一、二年くらいずっと生きる意味が見い出せませんでした。

なんか霊的な真実を知れば知るほど、世間一般の人たちが楽しんでいることを一緒に楽しめなくなっていったんです。

誰かの悪口とか、陰口とか、なんかウダウダしてたりとか、貧しくて弱い自分を正当化していつまでも被害者意識むき出しで生きる人たちに対して、何かもういい加減付き合ってられなくなってきたんですよ。

もういいわと。そんなやつらと関わるのはもうごめんだと思いました。

人間なんてそんなものよ。ほとんどの人間がそう。一人でいるほうがよっぽどマシじゃんって。

そしたらですね、どんどん豊かさが制限されてきて、人との繋がりもお金のめぐりも何かすごい停滞してきたんです。

当たり前ですよね。人類の大半を否定して断絶してきたわけですから。

最近ですね。やっとそんな状況が変わり始めたのは。

今を生きる一人の人間として、多少スピリチュアルなことにも興味を持ち、これからを生きていく人間の一人として、今の自分が感じたことやどう生きていくのかを書いておこうと思います。

今の時代に生きる人々の霊性は雑な言い方になりますが、低いです。

これって言わばトレンドなんです。

春夏秋冬など季節があるのと同じで、今は霊性が眠っている状態と同じなんです。

まぁ、今がちょうど冬の時期だとして、みんな冬眠してるような感じです。

冬より夏の方が優れているわけでは無いじゃないですか?

冬の時期には冬の時期の時期にしか出来ないことってありますよね。

スキーとか、あと、おこたに入ってみかんとか。

一人間の感性では分からないところでも冬というものが存在することの価値はあるわけです。

それと同じで、みんなの霊性が眠っている時代にしか体験出来ないこともあります。

 

人類の霊性を学校の勉強に例えるとですね。

今の人類は小学校レベルだとしましょう。そんな中でですね、ひとり大学入試レベルの学力を身につけていくとですよ、だんだん周りの人たちがバカに見えてきませんか?なんかまともに話が出来なくなったりしませんか?

でもですよ、大学入試レベルの問題が解けたからって、それが出来ない周りの学生よりも人間としての価値が優れているわけでは無いじゃないですか?

確かにすごいですよ。周りが九九や掛け算を必死にやっている中、微分積分が出来たら。

でも普通に勉強を続けていけば、いずれそういう問題を解けるだけの学力は身につけることは出来ます。

今、必死に九九を覚えようとしている小学生をバカにするのは違うじゃないですか。

それと一緒で、今の時代にクリアリングを必死にやってですよ、波動が高くなったからって、それって偉いんですか?って話なんです。

何のためにクリアリングをしますか?何のために霊的成長を目指すのですか?

それをしないと幸せになれないからですか?

それって、さっきのたとえで言うと、勉強が出来ないと幸せになれないといっているのと似ていると思います。

それって本当でしょうか?

確かに、勉強が出来る喜びってあると思います。知らないことを知る。分からないことが分かるようになった。それによって幸せを感じることが出来る。全然ありだと思います。

でも学校生活において、勉強さえしていればそれで良いわけではありません。

みんながみんなスピリチュアルなことを必死にやらないといけないわけではありません。

やりたければやればいいくらいの位置づけでいいんじゃないでしょうか。

小学校の時代にしか味わえないことってあると思うんです。

世の中のこととか、経済の仕組みとか、そういうことを全く知らないからといって生きていけないわけではありません。

少しづつ遊びや集団生活を通じて身の回りのことから学んでいけば良いと思います。

小学生の頃に学ぶべきことは他にもたくさんあるでしょう。

スピリチュアルなこともそれと同じだと思います。

で、ですよ。小学生に混じって大学入試レベルの学力を身につけてきた人たち。

必死にクリアリングをしてきた、もしくはこれからクリアリングをしていこうとする人たちは、どう生きるのが望ましいのか。

いかに小学校生活を楽しむかですよ(笑)

周りの学力レベルの低さを嘆いて、自分達だけの特進クラスを作り他人を排除してもたしかにその方が快適かも知れませんが、範囲が狭まる分、学校生活がつまらなくなるだけですよね。

だからといって、周りの小学生の学力レベルをあげようと、小学生に微分積分を教えて無理やり学力を引き上げますか?そうすることがいけないわけではありませんが、反発はあるでしょうね。

その学校の生徒として、その学校の一員になるために、自分の力を発揮するのが望ましいありかたなのではないでしょうか?

勉強なんてするな、バカになれと言っているわけではありません。

むしろ学力の向上は学校に通うひとつの大きな目的です。

人より勉強ができるからと言って周りの学生を見下すことなく、いち人間としていかに周りの人たちと対等に接することが出来るか、そしていかに周りの人たちと一緒に生活を楽しむことが出来るか。

自分が勉強が出来ることを嘆いたりせず、自分が勉強が出来ることを自分なりのカタチで表現し、いかに周りの学生達にいい影響を与えられるか。

まわりの学生達の話す、ある意味真実から離れている言葉にいかに惑わされずに自分らしく生きることが出来るか。

まわりの学生が勉強できないことに失望することなく、かといって勉強が出来ていない状態を全肯定せず、点数が低いことは低いこととして認め、それがベストを尽くした結果なんだと理解し、まわりの学生から勉強を教えて欲しいと頼まれたときにちゃんと教えてあげられるかどうか。

それに勉強が出来るようになればなったぶんだけ、同じように勉強できる人と出会い交流することは出来ます。

自分でその学校に通うと決めたわけですから。

これって当たり前のことなんですが、ことスピリチュアルなことになると霊的成長至上主義になったり、そうじゃない人を見下したりしがちです。

同じ学校に通うクラスメイトとして、望ましいあり方とはどんなものか。忘れずにいたいと思います。

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